日本の車は最初から日本の車を造っていたわけではない。戦後、外国から製造技術を学ぶために、パーツ輸入の組み立てから始まり、その後、国産パーツ製造、そして徐々に国産比率を増やしていき、自分の物にするというかたちをとったメーカーが多い。
本車もそんな一例である。
1953年、フランスのルノー公団(当時のルノーはシャルル・ド・ゴール大統領によって戦後まもなく国営にされていた。完全民営化は1996年)から日野自動車はこの車のノックダウン製造の許可を得て製造を開始する。1958年には完全国産部品による製造となった。その後、1963年まで造られた。
「亀の子ルノー」と呼ばれた日野製のルノー4CV。タクシーに大人気だった。
オリジナルより全長を稼ぐ為バンパー部分が少し長かったり、悪路に耐える為に足回りが強化されている。
後の日野コンテッサを開発する際の経験に生かされることになる。
今ではトラック、バスメーカーの印象が強い日野だがこういった日本製乗用車の歴史を語るうえで欠かせない車を造っていた。