火曜日カーミュージアム26回目「1960年型プリムスヴァリアント」

皆さんこんにちは、夏野勇です(*´▽`*)今年は異常気象ですね(;´・ω・)

今回は「プリムスヴァリアント」を紹介します。

プリムスヴァリアントは1960年、その歴史に幕を開けました。

それまで大型の車を求められていた戦後のアメリカ車の歴史は、1950年代中頃から転換期を迎えます。
それは小型車の需要が増してきたのです。ドイツからやって来たVWタイプ1、つまりVWビートルが輸入されたり、イギリスやフランスの小さくても性能が良く扱いやすい車がシェアを増していったのです。

この風潮に対抗するためにビッグ3(フォード、GM、クライスラー)、それ以外のナッシュ(後にハドソン等と合併し、AMCになる)、スチュードベーカーを筆頭とする他の自動車メーカー達も小型車に力を入れるようになります。

その答えの一つとしてクライスラーが送り込んだ小型車がこのヴァリアントでした(当初はどこのブランドにも属さない存在で、『誰の弟分でもない、自らの四輪で自立した』というキャッチフレーズを持っていた)。

因みに『プリムス』とは現在は無きクライスラーの大衆車部門です。決して『プリウス』ではありません、それはトヨタの売れ筋の車です。プリムスは、いわばフォードにおける『フォード』、GMにおける『シボレー』と同じです。

ヴァリアントの外観はクライスラーの上級モデルの様なテールフィン、スペアタイヤを模したふくらみが有るトランクの蓋といったアクの強いスタイルでしたが、その構造はフレームの上にボディを載せる構造ではなく、この当時のアメリカ車では先進的なフレームボディ一体式、つまりモノコック構造(ユニボディ式)で構成されていました(クライスラー全体でも戦前の『エアフロ―』と呼ばれる流線型モデル以来の二例目)。これにより当時のどのプリムスの車よりも高い捻り方向性、曲げ方向性を持っており頑丈なボディに加えて、ボディとフレームとの境目がないことから共振周波数の大幅に低減に成功することが出来ました。

然しながら、クライスラー自体がこの時代は販売低迷期だったこともあり、初年度売上19万台を達成したヴァリアントも、ライバルメーカーの刺客達に対抗することは出来ず、この後は思うように販売台数を伸ばすことが出来なかったそうです(:_;)

が、アメリカの雑誌『ロード・アンド・トラック』によるとヴァリアントは後にアルゼンチン、カナダ、オーストラリアでの現地生産による独自の発展に派生、更に西ヨーロッパ、南アフリカ等の世界各国での販売におけるヒットによって「世界的な規模を持つ最高の国産車の一台」と評価しています。
 『帰港してくる漁船を見るためにと田舎の漁港に現れたのは赤い色のアメリカ製の車だった。オーナー曰くこれまでのアメリカ製とは違ってうるさくなくて、しかもアメリカ製らしく国産車よりも排気量が大きいから速いよと満足げだ』
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