火曜日カーミュージアム22回目「初代トヨタパブリカ」

皆さんこんにちは、夏野勇です(*´▽`*)美瑛の丘にあるとある店のズッキーニ……う~いやいや、これは次回に持ち込みましょう。

 

それでは本日は「初代トヨタパブリカ」を紹介します。

 

UP10型パブリカは1961年にその産声を上げた。当初はFFでの設計で開発を進めていたが、その時代の日本では技術に乏しかった故に単純なFRへと改められた。

国民車構想の影響を受けて開発されたパブリカはトヨタ初の大衆車として、長年にわたってトヨタの生産、販売する最小車種として位置付けられた。後のスターレット、そして現在販売されているヴィッツへと連なる、トヨタコンパクトカーの偉大なる元流である。

『トヨタ店』『トヨペット店』に次ぐ第三のチャンネル、『パブリカ店(後に初代カローラ販売開始とともに『カローラ店』と名前が切り替わった)』を開設し、当初は徹底的な安い値段で販売され、389,000円という破格の値段を叩きだしていた。

然しこの車、ないものだらけのシンプルな車だった。

ボディ構造は車台車体一体式(フルモノコック)で車重は600kgという軽量で、性能は水平対向二気筒700ccエンジンで28馬力、一速目ノンシンクロの四速MT、1リッター24キロの燃費、時速110キロと申し分のない動力性能、更には独立したトランクルームを持ったところと軽自動車より広い車内は、総合的に見て軽自動車より遥かにアドバンテージがあった。

然し、生産性を重視してコストダウンを徹した結果、プレス材を多用し、アクセントのメッキモールがないシンプル極まりない外観、更には燃料計(警告表示は点くようにはなっていたが)、快適装備のヒーターにラジオもない、サイドミラーまでないというものだった。当時ラジオにヒーター、外観アクセントのメッキ装備と豪華になりつつあった軽自動車に販売台数が負けてしまうというあるまじき、且つ由々しき事態になった。人々が豪華な装備や演出を求めていたのに実用性と経済性では太刀打ちが出来なかったのだ。

この現象、日本のメーカーの某ダイヤの……車とは言いませんが今でも起きていたりする……。

この結果にトヨタは発売二年後にリクライニングシート、ラジオ、外装のメッキモールを追加した高級仕様『デラックス』を発売(これまでのモデルは『スタンダード』と名乗る)するに至ると売り上げはようやく目標越えに転じた。

この痛い結果と教訓こそが後の初代カローラへの販売戦略、更にはトヨタ全体の現在に至るまで続く方向性となる。

またこのエンジンからは大幅なチューニングを施し、伝説的軽量スポーツカーの『ヨタハチ』が誕生するがこれは別の機会に紹介しましょう。またワンボックスバンの『ミニエース』もこの車の派生車種である。

1966年には顔つきを大きく変えるマイナーチェンジを施し(形式番号UP20型)、1969年にモデルチェンジを迎えるまで初代パブリカは生産された。

なお、この車をもって日本の車のドアノブ形状は大きく変わります。パブリカのドアノブ形状が原因で、走行中に子供に刺さった痛ましい事故が起きており、これを機に日本車からは突起物のないドアノブに切り替わっています。

尚、子供の頃、この車のことを『パプリカ』と言っていた。如何やらこの車はピーマンの親戚である辛くない唐辛子ではないようです(^_^;)

本日もご来館有難う御座いましたm(__)m出張買取のご予約はこちらから。

電話でも受付しています
0120-913-110
受付時間9:30~18:30

あなたの大切な本、引き継がせてください

出張買取センター新CTA001 (1)

 

あなたの大切な本を待っている人がいます。ご不要になった本やCD・DVD、ゲームがありましたら、ぜひブックオフへお預けください。次の方へお届けいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です